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「誰も待っていない漫画を描く」という洗礼

画材(2011年3月17日・東日本大震災後、小学館会議室にて執筆中)

イキナリ私事ですが、私は不人気と契約満了が重なって連載がすべてなくなったことのある漫画家です。そうなった時、改めて「誰も待っていない漫画を描く」という恐ろしい洗礼を受けるハメになりました。自分でも「受けるべきだ」と思いました。

誰とも打ち合わせしていない、 誰にも求められていない、 誰にも頼まれていない漫画を描いて、 出版社や雑誌の後ろ盾がないSNSみたいな場所で発表して、果たして私は漫画家でいられるのか、私が「好き」だけで描いた漫画を面白いと思ってくれる人は私の作家生命を救うほど居るのか。私自身も今まさに、自分の好きな題材を信じて、好きなものだけ描いて、どこまで生き残れるか、「好きなものを磨くと強いぞ」を実証する道の途中にいます。現実を確かめるのは心細い事ですが、お陰様で大好きなキャラクターたちと一緒に細々と生き延びているところです。

という、「無職状態」〜「人並みの生活は成り立つ」ぐらいを行ったり来たりしている立場から、時々漫画の描き方を人様に教えたりしている身分なのですが、未経験者〜初心者だけを対象にしている、描けない人向け漫画教室で生徒さんを教えていると、必ずと言っていいほど受ける質問があります。

生徒さん

どんな漫画を描くべきかわかりません。
描くべき漫画は、一切ありません。誰も待ち望んでいませんから!(ビシッ)

管理人

私はこう答えています。
(厳しいことを言ってごめんね、と思いつつ…。)

 

「あなたの漫画なんか誰も待ってない」けど

ハッキリ言って、デビュー前の漫画描きは、誰にも求められていません。

「誰にも」っていうのは過激な言葉で、僅かに居る人たちも消し飛ばしてしまいますが、商業的に、ある程度以下は「誰も読んでない」と言って差し支えない場合がほとんどです。

その段階は、自分が漫画家になることを求めているだけです。

「自分が漫画描きであるためだけ」に漫画を作っている時期です。

〆切と言ってもせいぜい雑誌の新人賞ぐらい。徹夜して描く意味なんか自己満足以外ないだろうし、担当編集者がついていなければ、サボっても手を抜いても誰にも催促や追及をされないし、あなたがペンを捨てたところで原稿を破ったところで誰も痛くも痒くもありません。あなたが漫画を描けなくても、誰にとってもどうでもいいのです。ただ一人、あなたを除いては。

待たれていない=すっごい自由!

ある意味とっても残念で、ある意味とっても気楽なことですが、今のところ発表されていないタイトルについては、誰も〈具体的な待ち方〉をしていません。漠然と「面白い漫画が読みたい」とかはあると思いますし、質問者さんもこの漠然とした需要に応えたいのかもしれませんが、誰も具体的に待っていないということは、「描くべきものがない」ということでもあり、べつに「何描いてもイイ」わけです。

生徒さん

それって誰からも期待されてないってことで、ダメなことじゃないですか?
ポジティブに言えば自由です。ネガティブに言うと「誰も何も要求してくれないから自由なだけ」だけど。

管理人

「実際まったく需要がない」という超ネガティブ現実を抱えた状態で心までネガティブになっても仕方ないのでポジティブにいきましょう。

この種類の自由は、あなたが「多くの人々から待ち望まれる人気漫画家になりたい」ならば非常に寂しいことで、自由どころか孤独に近いものだと思いますが、とはいえ、自由は自由です。「絶対に載りたい雑誌があって、絶対に100万部売りたい」なら別ですが、「自分が面白いと思うものを同じように面白がってくれる読者に届けばいい」ということなら、本当にただの自由です。

じゃあ何を描けばいいのか、っていう話ですが、「何を描くべきか…」で迷っている段階なら、「好き」を伸ばすのが一番だと思います。まるで何も描けない人は。

せっかく「漫画を描きたい」と思うほど興味があって、漫画という手段に好意的なのに、好きでもない題材や手法に手を出して、制作が苦行みたいになって、結局嫌になっちゃって投げ出して仕上がらなかったら本末転倒です。だから私は、せっかくだから「一番得意なネタは好きなもの」「好きなものだったら描ける」を最初の目標設定にするのがいいと思います。

漫画には様々な工程があります。ネタを出して、ストーリーを考えて、場合によっては下絵を描いて、ペンを入れて、もちろん背景や仕上げの作業もあります。見栄えのする原稿を仕上げるのは、ハッキリ言って結構面倒臭い作業の連続です。「好き」というポジティブな感情は、これらの「面倒臭い…」に対して非常に強いです。始めるまでは億劫だったとしても「いざ作業を始めれば楽しい」という状態を作ってくれます。これが「嫌い」「興味ない」題材だったら大変です。そうでなくても面倒臭いものが、更に「嫌い」「興味ない」に支配されるのです。商業的な〆切でもあればそれでも駆け抜けられそうなものですが、需要がない描き手の場合は追い立てられることもないので、結局本当に嫌になってやめてしまったりします。

せっかく自由ですから、迷ったら「好き」なものだけ描きましょう。もう、全コマ好きな食べ物の絵を描いて、「好きだー!」って言っているだけの漫画でもいいから。むしろ無理に興味のない時事ネタとか流行とか盛り込んで全然自分の趣味に合わない作風でやって、描いてる途中で飽きて途中で投げ出して脱稿できない背伸び漫画とかに手を着けちゃうより、よっぽど未来の明るい作品ですよ。

生徒さん

先生の描く漫画に先生の好きそうな女の人ばっかり出てくるのはもしかして…?
説明不要でしょう…。どんなに疲れている時でもどんなに具合が悪くてもどんなに売れなくてもどんなに誰からも読まれなくても「描きたくなるほど好き」なものを極力出すのは、苦境に耐えやすいからです。

管理人

他の作家さんの舞台裏のことですから具体例は出せませんが、「好きではないもの・興味のないものが題材の漫画を編集者に強要された結果、心身の調子を崩して描けなくなった」という漫画家さんは私の身近だけでも結構な人数です。

嫌いでも興味がなくても、自分の生み出したものとして自分の名前で世に出し、売れなくても酷評されてもその責任を負うのが作者です。漫画は発表したからといって必ず褒められるものではありません。苦しい時間を共にする可能性もあるからこそ「きみとならどんな困難だって!」「私はきみに会いたくて生んだんだ!」と思えるような大好きな漫画を描きましょう。

ネタも感情もありきたりでもOK

いい物語というのは、小難しい感情や複雑な駆け引きがなくても成立します。努力や研鑽は、難題に立ち向かうことや、苦手・嫌い・無関心の克服だけが全てではありません。誰かが「面白い」と思ってくれる漫画は、目新しいネタや珍しいアイデアだけが全てではありません。

もうインターネットでも本でもテレビでも映画でも、大体のジャンルも大体のネタも、出尽くしてますし、大抵どんなニッチな題材でも探せば描ける漫画家って既に居ますから(単体で描ける漫画家がいなくても、専門家と作画家が組めば大抵の漫画は作れますから)、前人未到の地を今から探し出して挑もうとかしなくていいし、プレッシャーで何を描けばいいか分からなくなるくらいなら、「自分だけにしか描けないものを!」とか気負わなくていいと思います。

よく新人賞の総評とか募集告知で言われてる「あなたにしか描けないものを!」っていうのは、(ニッチな題材に挑めるプロフェッショナル募集ってニュアンスが0%とは言い切れませんが)そんなに、「あなたにしか」って言うほど「あなたにしか」のことじゃ無い場合がほとんどです。

たとえば今、空前絶後のサッカーブームだったとして、もう誰もかれもサッカーの話題だったとしても、べつにここで「サッカーってもう出尽くしてるじゃん、キャプテン翼なんか超えられないよ」とか考えて、誰も見たことない凄いスポーツを新たに考案したりとか、世界の果てまで行ってまだ日本で紹介されていない競技を探し出したりとかしなくても、いいわけです。もしあなたがサッカーが一番好きならサッカーで描けば。
逆に、あなたがサッカー超嫌いなら今どれほどサッカーが流行っていて、サッカー少年のサクセスストーリーを出せば絶対売れる!ってぐらいサッカーフィーバーだとしても『サッカー大好き人間』はあなたの手に負える主人公じゃないよ、「描くべき漫画」っていうのは流行っているネタを必ず盛り込むことではないよ、そしてこの場合「あなたにしか描けない」っていうのは『サッカー超嫌いな人間』のほうだよ、みたいな話です。

「今のところ不要な描き手」という現実

生徒さん

そんなありきたりなもの誰が読みたがるの?って思っちゃうんですが…。
ここで冒頭の、「あなたの漫画なんか誰も待ってない」に立ち返ります。そもそも、ありきたりのネタだろうが物珍しいネタだろうが、元より誰も待ってません。誰にも待たれていない状態では「たまたま自分の漫画と出会った人の心が動くかどうか」が肝心です。

管理人

待たれていない状態では、出会った読者(予備軍)さんが気に留めてくれれば、いつかは自分の漫画を待ってくれる人になり得るかもしれませんし、そうでなければ「つまんない」と思ってスルーされて、その人にとっての〈待つ必要のない漫画家〉に戻るだけです。

自信を奪いたいわけではありませんが、客観性を著しく欠いた目標設定は夢を滅ぼしてしまいます。

「何を描くべきか」と悩んだ時は、一切求められていない自分に描くべきものなんて本当にあるのか、「何が面白いのか」と悩んだ時は、そもそも面白い漫画を描く技術が身についているほど漫画を描いてきたのか、考え直してみてください。

そして、「全然いっぱい描いてないんだから、待たれてないのも、面白くないのも普通だったわ!」と冷静になってください。需要のなさや自作のつまらなさで自信をなくすのは全く冷静ではありません。大して描いてこなかった人が大して描けないのはただただ自然な当たり前です。これから好きなものを描きながら、足りない部分を埋めていけばいいだけの話です。

もっと遥かに高次元の漫画業界最前線では、激戦を勝ち抜くにあたって、こんなナマぬるいこと言っていられない(という主張の作家さんや編集さんもたくさんいる)ものですが、そもそも読みたがられていない描き手(しかも安定的に短編すら仕上げることができていない段階)については、好きなものを描いて、自分に可能な最善の場所と方法で公開して、ちゃんと宣伝したら、あとは自分と同じ感性の人が現れるのを待つのが最善でしょう。発表の場がインターネット上なら尚更です。まずは「この気持ち分かるなー」「自分もこれで悩んだことある!」「これ大好き!この作者と趣味が合いそう!」という感情の受け皿としての漫画を目指してください。共感の輪というのは案外大きく広がってくれたりします。

描くクセがつくまでは、一旦「自分は面白いもの作りの競争に参戦できている」というプライドを捨てて、ヒヨってみましょう。すごいもの・売れるもの・面白いもの、じゃなくて、好きなものを継続的に磨いてください!

「誰も待っていないのに描く」というのは、マンガを描くほぼすべての人が一度は受ける洗礼です。恥じたり、めげたりするようなことではありません。